吉田印刷90年のあゆみ
大正時代
 創業者 吉田重助は、明治30年(1897年)盛岡市生まれ。
 12歳で印刷業界へ身を投じ、石版印刷の技術取得と貯蓄に励んだ。そして大正7年(1918年)、21歳の時、盛岡市大沢川原小路に工場を間借りし、手動石版印刷機1台で印刷業をスタートさせた。
 これが吉田印刷の原点となる。
吉田印刷先代
初代社長 吉田重助
 石版印刷(リトグラフ)は版画の一種で、現在のオフセット印刷と同様に水と油の反発作用の原理を利用したもの。
製作工程は「描画」「製版」「刷り」の3行程にわかれ、孔版・凹版・凸版などの印刷に比べると複雑で時間も掛かるが、描画したものをそのまま紙に刷ることができ、多色刷りも可能。版を重ねるにつれて艶を有した独特の質感が出る。
吉田印刷創業時代
創業当時の社員
昭和初期(戦前)
 昭和の時代になると、お土産品やお酒のラベル等、石版印刷の需要が急増。昭和3年(1928年)には最新の動力石版印刷機を導入し、着実に吉田印刷の基礎を築き上げた。
 そして5年後の昭和8年(1933年)、盛岡市菜園1丁目23番地(現ホテルロイヤル盛岡)に自前の社屋を建設。活版印刷を含めた設備の強化を図り、創業15年にして一人前の印刷工場として認められるようになった。
吉田印刷野球部画像2
吉田印刷 野球チーム
吉田印刷野球部優勝
 また、野球が大好きだった初代社長は吉田印刷硬式野球チームを結成。自社のPRも兼ねて力を注ぎ、硬式全国都市対抗社会人野球岩手県大会で昭和14年・16年の2回にわたり優勝を果たし、吉田印刷の飛躍にも貢献した。

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吉田印刷野球部画像1
都市対抗社会人野球 県大会で優勝
昭和中期(戦後)
 昭和28年(1953年)4月に株式会社に改組、新たなスタートを切った吉田印刷は、その後も成長を続け、昭和41年(1966年)に現在地である盛岡市名須川町へと本社工場を移転。製版・印刷・製本設備を新鋭化し、総合印刷会社として内容を確実なものとした。
 その5年後である昭和46年(1971年)、初代社長は代表取締役会長へ、2代目社長に吉田勉(現取締役会長)を選任した。
吉田印刷社屋移転
落成当時の現社屋
 活版印刷からオフセット印刷へ、文字は活字から手動写植、電算写植へと技術が様変わりしていく中、吉田印刷も時代の流れに合わせて徐々にデジタル化が進んだ。
 高度経済成長の波もあり、印刷の需要も増え、更なる成長を続けていった。
吉田印刷社屋移転落成式
落成記念祝賀会
昭和後期~現在
 昭和55年(1980年)、B3両面8色オフセット輪転印刷機を当時他社に先駆け導入、特にチラシの分野で発展する。さらに昭和61年(1986年)には、遠隔装置付菊全判4色超高速オフセット印刷機を導入。コンピュータによる印刷機管理の幕開けとなる。
 平成元年には設備の全面的見直しと生産能力・品質の強化に力を入れ、平成3年には紫波郡矢巾町に盛岡南オフ輪工場を建設し、本格稼働する。
吉田印刷オフ輪工場
盛岡南オフ輪工場
 平成7年(1995年)に、それまで手作業で版下を作成しアナログ作業にて製版していたものをDTPにより効率化。デジタル化の流れが急速に進む。
 平成12年(2000年)、2代目社長は代表取締役会長へ、3代目社長に吉田成裕(現社長)を選任。その後、CTP(フィルムレス)化・CMSの構築・オンデマンド印刷機導入などを経て、90周年を迎えた吉田印刷は,さらに前へ進もうとしている。
吉田印刷CTP
CTPプレートセッター